旧車を生かし続ける! キオのブログ

はじめまして 旧車大好き今年50代の会社員です。 1970年代〜1990年代くらいまでの 旧車に関連した記事を発信していきますので、 ご興味のある方は ご覧いただければ幸いです。

幻の名車 AE82セダン 5代目カローラGT 4AG!!

1980年代

FF化が流行っていた


1980年代は70年代の排ガス規制の影響を
まだ脱出できずにもがいていた時代です。

各メーカー必死にエンジンやボディーを開発していました。
しかし、開発予算も乏しい時代でなかなか良いものは開発
出来ませんでした。


各メーカーあるものを組み合わせたり、ボディーを新しい
もので古い設計のエンジンをチューンナップして搭載したり、

それなりの工夫はしていたものの、本当の意味で脱出できる
のは90年代に入ってからでした。


過渡期のクルマにはそれはそれで良い味があり、
先人たちの知恵を感じるものも結構面白いものです。


1983年にカローラが5代目としてフルモデルチェンジを
受けました。

本日は5代目カローラGTについてお話したいと思います。

カローラは発売以降すべての世代において、ヒットした
日本の大衆車の代名詞でもありました。

5代目から当初はやっていたFF化に踏み切り、大きく
変貌を遂げていきました。

一部スポーツグレードのレビンはFRのまま販売されました。

当時カローラのエンジンは1960年代に設計された
3A型エンジンとK型4Kエンジンが主流です。


開発費がないことからシリンダーブロックをボアアップ、
そしてツインカムヘッドを乗せたエンジンを開発?
チューンナップ?して新開発としていました。

それが名機と呼ばれる4AGです。

なので4AGエンジンは既存のものの組み合わせを
変えることで新開発風に装ったエンジンだったのです。

それは置いておくとして。


当初新開発のカローラにはスポーツバージョンとして
この4AGエンジンを搭載したAE86とAE82がありました。

AE86はレビンそしてAE82は3ドアのカローラFXです。

しかし、このAE82には4ドアセダンもあったんです。

それがカローラGTです。

このクルマはFFになってしまいましたが、
エンジンは130ps車重は800kg程度の軽さで、
3BOXスタイルでバランスがとれており、
意外と速く走るクルマだったんです。


大衆車のスポーツバージョンだったので、知る人ぞ知る
名車で90年代に大量に解体されてしまったため、
中古車市場に出回ることはほとんどない幻の名車です。


FFになってしまいましたが、エンジン出力はスポーツ
グレードのもので車重も800kg程度今の軽自動車
と同じような重さにその出力なので、走って面白いクルマ
だったに違いありませんね。


表向きにスポーツセダンというわけではなかったので、
モータースポーツで活躍することはありませんでしたが、

羊の皮を被った狼的なクルマとしては非常に
カッコいいクルマであると思いませんか。。?


あったら『買い』の一台です。

80年代っぽく直線を基調にしたデザインが
今見ると斬新でカッコよく見えますね。

残念ながら中古車市場では発見できませんでした。。

本日は幻の名車FFカローラGTのお話でした。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます!

貴婦人のフォルム 国宝級ロータリー!マツダRX-7(FD3S)!!

バブル時代の名車

最期のRX-7

1970年代は国産車にとっては暗黒の時代でした。
排ガス規制やオイルショックにより

それまでの通りでは
クルマが公道を走れなくなったからです。


排気ガスをクリーンにするためにエンジン出力は落ちたり、
ガソリン供給の仕組みも変わり、

すっかり腑抜けになった国産車は1990年代に入るまで
従来の機能をとりもどせなかったのです。


80年代後半から日本はバブル景気に突入していきました。
この景気によりクルマは売れ、開発予算が多く取れるようになり

新しい仕組みや新しいクルマが誕生していきました。


国産車の黄金期と呼ばれています。
本日は黄金期のマツダRX-7FD3S)についてお話したいと思います。


RX-7ロータリーエンジンを搭載していて、デビューした時から
スポーツカーのカテゴリーの代表的なクルマです。

特に3代目のFD3S RX-7は歴代のRX-7の中でも美しいフォルムと
そのフォルムとは裏腹に高出力なエンジンを搭載し、

見た目も中身も充実した黄金期の名車と言っても過言ではありません。


エンジンは13Bロータリー2基を搭載、シーケンシャルターボ搭載で
発売当初は255psの出力でした。

足回りには4輪ともダブルウィッシュボーンを搭載し、当時最先端の
技術を詰め込んだ1台でした。


エンジン出力は年々進化を遂げ、最終的には当時の自主規制枠いっぱいの
280psまで出力を上げていきました。
低い車体とロングノーズショートデッキのボディーは、今見ても
美しく完成度が高い1台です。

1991年に販売開始され、バブル時代からバブル崩壊を経て、
2002年まで販売され続けたクルマです。

バブル崩壊後は世の中の価値観が変わり、消費よりも節約、省エネ
へとクルマの好みも変化していきました。

スポーツカーというカテゴリーは時代の変化に置いて行かれてしまった。
そんな感じで販売台数も伸びなくなり、
需要もなくなっていきました。
そして2002年にRX-7は24年間のブランドに終止符をうったのです。

国産車の量産スポーツカーで庶民に手が出せる価格で、これだけの完成度
のクルマはその後表れていないように思いませんか。。?

そんなRX-7FD3S)は今一体いくらするのでしょうか。。?

販売終了から17年以上経っているので
どうなのでしょう。。

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU2798990627/index.html?TRCD=200002

こんな価格です。
想像よりも高いですが、
今程度が良いものを購入して
維持して乗っていくのは面白いですね。

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU2517728839/index.html?TRCD=200002

最終型の奇跡に近い程度が

この価格です。

まぁアリと言えばアリですが。。
手が出ませんね。。


本日は国産車黄金期の名車
マツダRX-7のお話でした。

本日も最後までお読みいただき
ありがとうございます!

最後のFRライトウェイトスポーツ!日産シルビアS15!!

最期のライトウェイト

2000年代までどうにか


国産車の新車の開発は景気に左右されるところ
が大きく古くは高度経済成長期、最近では1990年代
のバブル景気のころに多くの新車が発売されていました。


どうしても開発予算はクルマが売れてから、余った費用で
まかなう事が多かったせいか売れた後何年か後に名車と
呼ばれる車種が多く発売されていました。


それとは逆に景気が悪くなると保守的になるせいか、
パワーを追い求める車は発売されなくなり、
代わりに省エネや燃費がいいクルマが求められるように
なっていきました。



近年ではバブル崩壊は1993年ですから、それ以降の
クルマにはパワーや速さは必要なく、節約や低燃費という
ワードが人々に響くものになりました。


しかしながら、1999年1月に無謀にも日産は
最期のFRライトウェイトスポーツシルビアS15を発売します。


バブル崩壊からすでに6年も経過している99年に、よく発売
する決断をしたものだと感心させられます。


時代は省エネ、節約の時代で、ハイブリットカー全盛の時代です。
当然スポーツカーというカテゴリーは世間では全く必要がない
カテゴリーでした。


事実そのころ発売された車種でスポーツカーと呼ばれるモデルは
ほとんどなく、特にライトウェイトの分野においては他にホンダ
S20001種類のみの発売でした。


日産シルビアS15はSR20エンジンを熟成させ、220psまで
出力を高めた最終形のエンジンを搭載しており、
そのころの国産車ではそんなに高い出力ではありません。


車重も1200kg程度と当時としては軽い部類でしたが、
実際のところそんなに軽い物でもありませんでした。


それでも当時ライトウェイトスポーツカーはこの車種しか
存在しなかったため希少車でありました。

しかし残念ながら、平成12年の排ガス規制に対応できませんでした。
そのためわずか3年でブランドごと消滅するという
悲しいことになっていしまいました。


ライトウェイトスポーツカーはその後ほとんどといってよいほど
発売されることはなく、今日に至っています。


そんな最期のライトウェイトスポーツカーは今一体いくら
するのでしょうか。。?


https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU2515811176/index.html?TRCD=200002


程度がよいと結構な値段です。

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU1698275323/index.html?TRCD=200002

最終型はこんな感じですね。
まだ15年程度しか経過していないので、
購入して直しながら乗るのはアリかもしれません。

本日は最後のFRライトウェイトスポーツカー
日産シルビアS15のお話でした。

最後までお読みいただき
ありがとうございます!
 

バイクじゃぁないのに空冷エンジン!!トヨタS800!!

空冷という機能

150km/h走行

何事に関しても言えることですが、
何かの黎明期はそんな仕組みだったのか!

などいまでは考えられないような仕組みが
平然と使われていたりします。


国産車の黎明期にも同じことが言えるのではないでしょうか?

本日は黎明期空冷エンジンを搭載したモデル、
トヨタS800についてお話したいと思います。


1962年トヨタはパブリカの開発及び改良を完成とし、
一度パブリカの開発を終了としました。


カローラが発売される間のつなぎというか、開発のついでに
着手した車がありました。

当時はまだスポーツカーというカテゴリーが乏しく、
ほぼ皆無と言っても過言ではありませんでした。

ついでというか、つなぎという感じでパブリカのコンポーネンツ
をほぼすべて使い作られたのがトヨタS800でした。

パブリカのエンジンは空冷700CCでしたが、150km/hそこそこ
ではさすがに出力不足ということで100CC多めの800CCの
エンジンを搭載したのでした。

空冷800CCエンジンでツインキャブを搭載することで45ps、
車重は700kg程度の超軽量、そして現代のクルマでもあまり

存在しない空気抵抗係数(CD値)0.35は当時のクルマとしては
非常に抵抗が少ない優秀な1台だったのです。


最高速度は155km/hとそんなに速くはありませんでしたが、
ホンダS600のようにうるさい曲がらないということはなく、
レースシーンでも思いのほか活躍したようです。


パブリカのコンポーネンツを基本的に踏襲していますが、
フロントにはダブルウィッシュボーンを奢るなど
足回りの強化を図っていたりします。

この車体にタルガトップが斬新です。
モノコックボディーですが、強度は激的に落ちるだろうに。。
黎明期ならではですね。。


発売期間は1965年から1969年までの4年間で
約3000台強の登録台数だったとのことでした。




レースシーンでは軽さと操作性の良さに加え空気抵抗の低さ
から他のライバル車とは異なり、ピットインの回数が少なく、
メンテナンスも簡単でした。


中にはピットで『エンジン丸ごと交換』なんて荒技を
繰り広げたこともあったそうです。

今では考えられなくらい単純な構造で、エンジン以外の
補器類がほとんどなかったのでしょうね。。


そんなトヨタS800は今一体いくらするのでしょうか?


https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU2042936997/index.html?TRCD=200002

王道クラシックですから、
このくらいするんでしょうね。。

もはや50年以上も前のクルマですから
存在すること自体が奇跡ですね。


一度レストアされた物でないと乗れないのだと思います。

一からやったらいくらかかるのか。。
軽く1000万円超えてしまいそうですね。。

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU0879741860/index.html?TRCD=200002

そう考えるといくら高いとはいえ
トータルコストを考慮すると安いのでしょう。

けれどももはや手が出ませんね。。

本日は黎明期空冷エンジン搭載の
トヨタS800のお話でした。

本日も最後までお読みいただき
ありがとうございます!
 

国産オープンDOHCエンジン!!ホンダS500!!

1960年代のホンダ


1960年代に入り日本のモータリゼーション
幕を開け後発メーカーとしてホンダが産声を
あげました。


日本の自動車産業は元々戦時中の飛行機メーカーが
戦後平和利用へと転向して興した会社がほとんどで、

日産の前身プリンスにしてもスバルにしても、
中島飛行機という飛行機メーカーのエンジニアが創めた
会社でした。

そんななか後発メーカーのホンダはバイクメーカーとして
創業しましたが、後に4輪にも進出することになりました。

創業者の本田宗一郎はおもしろい仕組みを数多く発明し、
斬新な形で具現化していきました。

バイクの最初のガソリンタンクの試作バージョンは
『湯たんぽ』だったりします。


そんなホンダは国内メーカーでは後発でしたが発想が
斬新で面白いものを多く発明していきました。


日本のモータリゼーションにも大きく貢献した
メーカーの一つと思われます。


前置きが長くなりましたが、
本日はホンダS500のお話をしたいと思います。


1963年10月にS360の構想を具現化した形で
発売されました。

まだ自動車産業がエンジンを設計するところの黎明期
DOHCエンジンを開発して軽自動車に搭載する
あたりが斬新です。

S360は市販には至りませんでしたが、S500は市販車
として販売されます。

しかし、面白いことに1964年1月にはS600を
発売します。
たった3ヶ月で後継機種を発売する当たりが、

黎明期の混沌の様子がよくわかる感じで面白く
同じような車両で360CC、500、600CCの
エンジンがありしかも全てDOHCというのがホンダらしい
と思いませんか。。?


たった3ヶ月でどの程度売れたのかすらわかりません。
S600のプロトタイプと言っても良い感じのクルマです。

なんで発売したのかはよくわかりませんね。。


でも、超レア車として現存するクルマがあったら、
超高値がつくんでしょうね。。


中古車で流通しているとは思えませんが。。

博物館にしかないのかもしれませんね。。


S600なら現存するクルマも多くあるのでは。。?

今一体いくらするのでしょうか。。?

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU2747328450/index.html?TRCD=200002

そんなに高くありませんね。。

ハコスカ買うなら全然現実的です。

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU0394362574/index.html?TRCD=200002

これもそうですね。

すっかりクラシックカーですが、
S600やS800はまだ現実的に手が出せそうです。

S500は発見できませんでした。
わずか3ヶ月の発売期間で当時まだ購入できる人が
少なかったのでしょうね。。

本日は国産車黎明期
ホンダS500のお話でした。

本日も最後までお読みいただき
ありがとうございます!
 

トヨタ初!水冷エンジン大衆車!王者トヨタカローラ!!

1960年代の国産車

1960年代に入ると国策により日本の
自動車産業は大人4人が乗れてある程度速度が出せる

大衆車の開発に力を入れていきました。
日本のモータリゼーションの幕開けです。

トヨタは空冷のエンジンを開発し、大衆車に搭載しました。

初代パブリカの誕生です。


耐久性や冷却機能に関して空冷ではなく、水冷を採用するに至り
新たにエンジンを開発しました。

1966年当初日産では時期発売車が1000CCで開発されている
情報を得たトヨタは開発途中のエンジンを無理やり100CC排気量を
増やし1100CCとして発売しました。

このエンジンを搭載したクルマが初代カローラです。
初代カローラは『100CCの余裕』というキャッチフレーズが

功奏し大きく販売台数を延ばすことに成功します。

この車種自体もすごいのですが、
カローラに搭載されたK型エンジンというエンジンも
販売年数でいうと様々な車に使われ続け、約50年弱もの間現役で
生産され続けたんです。


2013年までカローラは生産され続けましたが、累計販売台数は
4000万台を超えるヒットとなる車種だったのです。



エンジンの話に特化すると、K型エンジンはカローラに始まり、
3Kエンジンは初代スターレット、2代目スターレット
2代目パブリカなどに搭載されエンジンで日産のA型エンジンと同様

OHVの古典的な作りながら、頑丈で単純なだけにメンテナンス性
にも優れたエンジンでしたが、度重なる排ガス規制に対応ができず
廃版となりました。


初代カローラはパブリカの大衆車で大人4人乗れれば良い的な
コンセプトを『80点+α主義』に切り替え、少し内装が良かったり
エンジン性能をあげたりしながら、約50年も続いたクルマでした。

1100CCで60psの出力700kgの車重、日本の国土面積
や道路事情を考えると日本に適した大衆車であったことが分かります。


それでいながら丁度良い質感が国民に受け入れられ、ブランドとして
長い間愛されたのでしょうね。。

スポーツ系のクルマではないので、あまり生存台数も多くないと
思われますが、今一体いくらなのでしょうか。。?

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU2042471539/index.html?TRCD=200002

すでに50年以上も前のクラシックカーなので、
生存していること自体奇跡なのでこの価格は
致し方ないというか。。

そのくらいの希少価値があるってことなんでしょうね。。

本日は大衆車の中の大衆車
トヨタ初代カローラのお話でした。

本日も最後までお読みいただき
ありがとうございます!
 

排ガス規制 悲運のテンロク!! トヨタTE47・61・65トレノ!!

1960年代から始まった日本の

モータリゼーションは高度経済成長期と

重り車の開発は次から次へと行われ、モータースポーツ

のフィードバックも行われることにより、

性能も大幅に進化して行きました。

 

60年代の乗れる車からスポーツマインドを持った

車へとより高出力のクルマが多く販売されて行きました。

 

しかし。。

 

残念なことにこの頃中東戦争オイルショックなど

車を取り巻く環境が少し変化して行きました。

 

そしてトドメは1973年に施行された排ガス規制でした。

 

この排ガス規制によりそれまでレースシーンで培った

エンジン出力向上に関する補記類や仕組みが根こそぎ

使えた無くなっていったのです。

 

 

それまでの仕組みを一から作り直して、排ガス規制に対応

しないとならないほどの大掛かりな規制だったのです。

 

本日は排ガス規制に翻弄され、毎年車の型番が変わっていった

トヨタスプリンタートレノTE47についてお話ししたいと思います。

 

排ガス規制後の1974年に2代目スプリンタートレノは

販売されました。

この代はボディー形状がカローラとスプリンターで異なる

珍しいパターンでした。

 

 

初代よりもホイールベースが35ミリ延長され、60kgも

車重が重くなったことから、先代のようなスポーツ性能は

発揮できず、

 

 

排ガス規制の影響からエンジンもハイオク仕様から普通ガソリン仕様

になったためエンジン出力も落ち75年の排ガス規制に対応できなく

なったためグレードごと消滅することになりました。

 

 

この時代の車は排ガス規制に対応できず、ブランドごと

一時期消滅した車種が少なくありません。

カローラレビンも同じエンジンを搭載していたので、

一時消滅しました。

 

2年間のブランクを経てようやく76年排ガス規制に対応した

電子制御インジェクション仕様の2T-GEUエンジンを

搭載したTE61として発売してされました。

この頃のエンジンは100psを出すのも大変でした。

にも関わらず78年にも排ガス規制が入り、

それに対応したエンジンを搭載したTE65が1978年に

発売されました。

 

排ガス規制に振り回されブランド消滅もあり、74年から

79年まで2年のブランクを入れて販売され続けたのも

企業の苦労がうかがえます。

 

 

もはやスポーツカーとしては全く機能せず、名前だけのGT

と化してしまった国産車はこのトレノだけにとどまらず

この時期作られていた車のほとんどは名ばかりのGTでした。

 

 

高度経済成長に乗っかって性能も成長を遂げたまでは良かった

のですが。。その後ひどい仕打ちにあったこの頃のクルマは

少々気の毒な気がします。

 

 

同世代のクルマなのに3つもの型番を持つ車種はこの時期の

トヨタ車だけなのでしょうね。。

 

 

販売台数も少なく、性能もあまり良くなかった時代の車なので、

生存台数も少なく希少だと思われます。

 

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU1551580525/index.html?TRCD=200002

 

ありました!77年式なのでTE61です。

 

一番遅くてダメな奴ですが、超希少モデルですね。

 

もはや高価になりすぎた86購入するよりも

この年代の少し遅い車を購入したら面白いかも知れませんね。

 

まだ手が出せそうです。

 

本日は排ガス規制に振り回された

トヨタスプリンタートレノTE47、61、65の

お話でした。

本日も最後までお読みいただき

ありがとうございます!