モンスターエンジン1980年代に開発に着手した日産のV型エンジンは約40年を経てとてつもないモンスターエンジンとして生まれ変わりました。現代版のS20のようなそんなレーシーなエンジンを搭載したクルマが300台限定で市販車として発売されました…
1970年~1977年激動の時代を切り抜けて生産された1960年代に始まった日本のモータリゼーションは1970年代に入って失速しました。それまでの怒涛のような開発は鳴りを潜め、いままであったエンジンや補器類、更にはブランドまで消滅するほど…
排ガス規制の犠牲1970年代は中東戦争に始まりオイルショック、度重なる排ガス規制に国産車は翻弄されました。1973年の排ガス規制に続き、1975年、1976年と立て続けに規制が入りました。当然対応できないエンジンは廃版になりブランドごと消…
いつの時代もある限定車いつもと少し違った切り口で本日はお話したいと思います。いつの時代も特別仕様車や限定車って存在しますね。新車で発売したもののなかなか売れ行きがよくないなどの理由でテコ入れの意味もあって限定車を投入したりしますね。いろい…
元祖ロングノーズショートデッキ伝統のスタイル1969年に初めて日産フェアレディーZが発売され既に51年になりますが、2000年~2002年まで発売されない時期がありました。世の中がスポーツカーを求めなくなり、需要もなくなり開発もままならなく…
980年代はまだ旧製品の組み合わせ1980年代は60年代設計のエンジンや補器類を新しいボディーに搭載したものを新開発と呼んでいました。70年代の排ガス規制の面影が色濃く残る時代で、開発は遅々として進まず各社苦悩の跡が見て取れます。本日はそ…
80年代すごい10年間1970年代の排ガス規制から全くと言っていいほど脱出できないまま80年代を迎えた日本の自動車業界は活気とは逆の低迷を続けていました。80年代の初頭は70年代の負の遺産を引きずった形の全くと言ってよいほど古いものの踏襲…
1960年代王道名車1960年代は日本のモータリゼーションが幕を開け庶民にも自家用車が手に入る時代になりました。高度経済成長を背景に各社開発は凄まじく、さまざまなクルマが開発されていきました。1960年代後半から1970年代中盤くらいまで…
派生モデル1985年から1993年までの数年間は国産車の黄金期と呼ばれています。バブル景気を背景に開発費をふんだんにかけて開発された車が次々に発売された時期です。奇抜なクルマや今では考えられないようなクルマが数多く発売されました。本日はバ…
1973年以降1980年代中盤からようやく1973年の排ガス規制から国産車の性能は地に落ちるようにエンジン出力やそのほかの性能も規制前のそれよりもダメになりました。排ガス=ガソリン使うだったので、極力薄くすることだったり補器類のキャブレタ…
1974年以降85年までの低迷期1960年代に幕を開けた日本のモータリゼーションは1970年代に入り高度経済成長を背景に勢いを加速させました。それまでの国産車には無いパワーと車両自体の性能向上そして低価格が庶民にも手が出るものとなり、マイ…
1960年代黎明期 国産車の大量生産は1960年代に入り始まりました。 国策により多くの人数とある程度の出力を求められ、 各メーカーはしのぎを削っていました。 60年代の各社の開発は目覚ましく日進月歩という 言葉がピッタリで多くのエンジンやクル…
1994年バブル崩壊後80年代から続くパイクカー(遊び後ごろのある、尖った)国産車の黄金期は1985年から1993年までのバブル景気のころと言われています。そのころ開発されたクルマは開発予算を多くかけることができたので、それまでの70年代…
M2ロードスター1001第二のマツダという意味のM21989年にマツダからユーノースロードスターは発売されました。それまでの80年代のオープンモデルはシティーだったりRX-7だったりいろいろあるにはあったのですが、ライトウェイトスポーツカーとして…
1980年代FF化が流行っていた1980年代は70年代の排ガス規制の影響をまだ脱出できずにもがいていた時代です。各メーカー必死にエンジンやボディーを開発していました。しかし、開発予算も乏しい時代でなかなか良いものは開発出来ませんでした。各メ…
バブル時代の名車最期のRX-71970年代は国産車にとっては暗黒の時代でした。排ガス規制やオイルショックによりそれまでの通りではクルマが公道を走れなくなったからです。排気ガスをクリーンにするためにエンジン出力は落ちたり、ガソリン供給の仕組みも…
最期のライトウェイト2000年代までどうにか国産車の新車の開発は景気に左右されるところが大きく古くは高度経済成長期、最近では1990年代のバブル景気のころに多くの新車が発売されていました。どうしても開発予算はクルマが売れてから、余った費用…
空冷という機能150km/h走行何事に関しても言えることですが、何かの黎明期はそんな仕組みだったのか!などいまでは考えられないような仕組みが平然と使われていたりします。国産車の黎明期にも同じことが言えるのではないでしょうか?本日は黎明期空冷…
1960年代のホンダ1960年代に入り日本のモータリゼーションが幕を開け後発メーカーとしてホンダが産声をあげました。日本の自動車産業は元々戦時中の飛行機メーカーが戦後平和利用へと転向して興した会社がほとんどで、日産の前身プリンスにしてもス…
1960年代の国産車1960年代に入ると国策により日本の自動車産業は大人4人が乗れてある程度速度が出せる大衆車の開発に力を入れていきました。日本のモータリゼーションの幕開けです。トヨタは空冷のエンジンを開発し、大衆車に搭載しました。初代パ…
1960年代から始まった日本の モータリゼーションは高度経済成長期と 重り車の開発は次から次へと行われ、モータースポーツ のフィードバックも行われることにより、 性能も大幅に進化して行きました。 60年代の乗れる車からスポーツマインドを持った …
1990年は国産車黄金期 ラリーに強いクルマはスバル 1970年代に始まった日本のモータリゼーションは 排ガス規制をもってほぼ終わりを告げられました。 しかしながら、80年代に入って開発されたエンジンや 仕組みは90年代に入って開花します。 そ…
新しい組み合わせ1970年代は国産車のモータリゼーションの幕が開け各社開発が盛んにおこなわれていました。日産ではトヨタカローラに対向したクルマとしてサニーを発売していました。サニーはOHVのA型エンジンというエンジンを搭載していてカローラのエ…
1960年代から1970年代にかけて高度経済成長期からバブル経済期までの間はほんの15年程度ですが、その間に国産車のレベルは格段に上がっていきます。国産車が高度経済成長期に合わせて開発が進みまだ出力も大して大きくなかった1970年代初旬に…
新開発フルタイム4WD1980年代に入り少しずつ国産車の開発は70年代を払拭してきました。まだ開発段階で本当の意味で開発が進むのはバブル景気で各社開発費を惜しみなく使えるようになったころでした。1989年はバブル経済まっさかりで出す車はすべ…
国産車ロングセラー約37年間日本のモータリゼーションが幕を開けてから、排ガス規制を幾度か経ても尚ブランドがなくならず存続していた車種。それはまるでシーラカンスのようなそれこそ原始的な設計を37年もの間変えずに販売され続けたクルマがあるんで…
X70系マークⅡコロナから脱却1980年代の中盤から国産車の開発は日本の景気と連動していることが多く、古くは高度経済成長期その後のバブル景気のころに目立った開発が行われ多くの名車を産出してきました。1980年代の半ばにバブル景気が花開くと開…
1990年代ホットハッチ1980年代にFF2BOXカーとして5代目ファミリアが登場して以来ハッチバックは80年代から90年代にかけてバブル景気と同じようにパワー競争を繰り広げていきました。1980年代中盤から日本はバブル景気へと突入しまし…
オーバー200kmの意外と早い段階でクルマの速度が200km超えるって結構すごいことだと思いませんか。。?昔は新幹線の速度が200kmでしたが、それと同じかそれ以上の速度を出せるクルマって実はかなり昔からあったんです。それは1967年に発…
1980年代中盤から1990年代前半バブル時代だけど失敗作1990年代を境に国産車のあり方は変化していきます。それはバブル経済が崩壊したことにより、物質に対しての価値観がガラっと変わったことによるところが大きいのだと思います。それまでの国…