旧車を生かし続ける! キオのブログ

はじめまして 旧車大好き今年50代の会社員です。 1970年代〜1990年代くらいまでの 旧車に関連した記事を発信していきますので、 ご興味のある方は ご覧いただければ幸いです。

旧車 黎明期 空冷2気筒スポーツ トヨタS800!!

1960年代日本のモータリゼーション

1960年代に始まった日本の
モータリゼーションは瞬く間に
庶民へと広がっていきました。

戦後15年しか経っていないこの頃
乗用車はまだ富裕層の乗り物で、
一般庶民にはまだ高嶺の花でした。

そんな1960年代初頭に国を挙げて
安くて丈夫である程度人数も乗れて
というクルマの開発を国が自動車メーカー
に推進する形で広まっていきました。
おりしも1964年には東京オリンピック
開催されることになり、
国を挙げて道路整備を行うなど、
環境面でも追い風が吹いていたのも
好影響だったようです。

そんな1965年にトヨタはパブリカ
のコンポーネンツを使ったスポーツカーを
開発し始めました。

トヨタスポーツS800です。


パブリカといえば空冷2気筒エンジン
で何か面白い『パタパタ』という音を
立てて走るクルマです。

僅か800CCのエンジンは非力でしたが、
それでもい自動車よりも出力的には
パワーがあり、45ps程度の出力を
絞りだしていました。


日本にはまだスポーツカーというジャンル
のクルマは少なく当時ホンダからホンダ
S600が登場したばかりの頃でした。

ホンダS600は当時ではまだ珍しい
DOHCエンジンを搭載し、
バイクのような軽い吹け上がりで
オープンエアを楽しめるクルマでした。

トヨタが開発したパブリカスポーツは
後にトヨタスポーツS800と言われる
クルマになりますが、
基本コンポーネンツはパブリカのもの
を使用しボディーは当時は珍しい
モノコックボディーを採用し、
車重を極限まで落としながらも、
強度を保つという難しいことを
実現したクルマでした。

車重は580kg全長が3500mm
車幅は1450mm程度って
極小なサイズで、今の軽自動車よりも
軽い車体を空冷45psの2気筒エンジンで
引っ張って走る。
なんとも愛らしい感じのクルマでした。

しかしながら、軽い車重と空気抵抗を
極限まで抑え、当時CD値は0.35で
非力なエンジンながら当時155km
もの速度を出せるほどだったんです。

そして特徴的なのは屋根が部分的に
外せるタルガトップを採用していたのも
先進の気性というかポルシェ911の真似
なのかは定かではありませんが。。

今見てもデザイン的にはカッコがよく
無駄がないそしてオープンエアを
楽しめるクルマだったのです。

しかしながら、本気で開発した
クルマではなく、パブリカと次世代
カローラ開発までの時間をつなぐ
手慰め程度と考えていたようです。

海外に販売するつもりもなく、
国内だけの販売ルートだったそうです。
そのため販売台数は65年から69年
までの4年間で3130台ととりわけ
多く販売したわけではないようです。

1965年といえばもはや半世紀以上
前のクルマですね。
今となっては相当希少価値が高いのは
間違いありませんね。。

ほぼクラシックの王道に近い
トヨタスポーツS800は今
一体いくらなのでしょうか。。?
https://www.carsensor.net/usedcar/detail/CU8575242052/index.html?TRCD=200002

まぁ普通にそんな価格でしょうね。

現存していること自体が
奇跡だと思います。

維持も相当大変だと思います。
外装パーツは皆無でしょうし、
消耗パーツもほぼ皆無でしょうし、
欠品があってもなかなか手に入らないでしょうし。。

現在は3Dプリンターがあって
もしかするとプリンターで出力した
パーツが代用できるなんてことも
あるのかもしれませんが。。
基本的にはまだそこまで発達
していないのでしょうね。。


部品取りのクルマ自体もない

このようなクルマを乗るには
相当な覚悟と情熱がないと
維持できないのかも知れません。。

しかし、日本の自動車産業の黎明期
を支えたクルマであることは間違いなく、
今見てもカッコいいことも間違いありません。
そして後世に残すべき車種であることも
間違いないでしょうね。。

本日は日本の自動車の黎明期に
開発されたスポーツカー
トヨタスポーツS800のお話でした。

本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!