旧車を生かし続ける! キオのブログ

はじめまして 旧車大好き今年50代の会社員です。 1970年代〜1990年代くらいまでの 旧車に関連した記事を発信していきますので、 ご興味のある方は ご覧いただければ幸いです。

旧車 バブル時代 欧州車超えセダン!!

1代限りの短命


1970年代の自動車産業
オイルショックや排ガス規制など
さまざまな規制に苦しみ、
1980年代を迎えました。

1980年代に入ると70年代を
引きずりながらも、新しい仕組みや
エンジンなどが次々と登場し
70年代と比べると多少元気に
なったように見えました。

しかし内容は70年代に少し毛
が生えたような感じで依然として
自動車産業全体に元気がないこと
は変わりありませんでした。

1980年台も半ばになると日本
の経済がバブル期を迎え

上昇気流とでも言いましょうか、
少し元気を取り戻していきました。

そんな中、日産は『901運動』と
いう社内の啓蒙運動?

『90年代までに技術の世界一を目指す』
という運動を内部で繰り広げていました。

そんな運動が徐々に実を結び始め、
1990に日産プリメーラがデビューします。

世界戦略を目指すミドルクラスのセダン
という名目で取り組んだ結果、
欧州車顔負けのFFセダンと言われる
ほど完成度が高いセダンを生み出したのです。

当初目指したのは
機能美を追求したスタイル、
居住性に優れた快適な室内空間、
卓越した走行性能という3つの要素を
高次元でバランスさせること。

具体的には低くて短めのフードに
長いキャビン、ハイデッキリアボディー
というパッケージに、

当時Z32で培ったマルチリンク式
フロントサスペンションと
専用セッティングのパラレル
リンクストラット式リアサスペンション
を搭載。

そしてエンジンはSR20直列4気筒
ツインカム4バルブエンジンを搭載
しました。

このエンジンは後にシルビアS14にも
搭載されるエンジンで、CA型エンジンの
後継機種でした。
ヘッドやブロックはアルミの鍛造式を
採用し、軽量ながら耐久性もある
エンジンを実現し、

それまでのタイミングベルトから
タイミングチェーンに移行し、
耐久性を高めたエンジンでした。

汎用性も高く、多くの日産車に搭載された
エンジンとしても有名です。


固めの足回りと卓越したハンドリング


発売当時のプリメーラは優れたパッケージング
からファミリー層にも人気があり、
広く受け入れられていましたが、
ファミリー層からはいささか硬い
サスペンションが乗り心地がわるいなど
不評でしたが、

当初ターゲットにしていた層とは
全く違う層に受け入れられ

大ヒットしたんです。


硬いサスペンションから
欧州車と真っ向勝負ができる走りのセダン
世界最高レベルのFF車
などと走り屋に受け入れられました。

そのセッティングからモータースポーツ
でも活躍し、イギリスのツーリングカー
選手権や日本ツーリングカー選手権でも
優勝するなど、意外なところで活躍し
ターゲット以外の客層に人気が出た
珍しいクルマだったりするんです。

1993年から1996年ごろまで
全日本選手権や他のレースシーン
でも大活躍しました。

その後マイナーチェンジに本来の
ターゲット向けに柔らかい
サスペンションにしたり、以前より
マイルドに味付けしたことにより、

本来のターゲットには受け入れられ
ましたが、ターゲット以外の客層
に受けていた支持はなくなり、
次第に販売台数が少なくなって
いきました。

当時RV全盛の時代で
ユーザーの注目もRVへと移行し、
段々とセダンは見向きもされなく
なっていき販売台数も落ち
1995年にフルモデルチェンジを
迎えます。

そうして徐々に忘れられていき、
2008年を最後にブランドが
無くなってしまいました。

本当に最初の最初だけ、
ターゲット層以外の客層に支持され、
モータースポーツやレースシーンで
大活躍し、
意外な客層の指示に支えられ販売
台数も当初の目論見よりも大幅に
増えた面白いクルマです。

偶然発見できたニーズを捕まえ
られれば、きっと人馬一体の
セダンというカテゴリーで
生き残れたのかも知れませんね。。

ターゲットを本来のターゲット
にこだわったために、
支持されていた層から見捨てられた
感じですが。。

本日は開発は大成功!でも。。
時代とニーズを見誤ったクルマ
プリメーラのお話でした。

本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!