旧車を生かし続ける! キオのブログ

はじめまして 旧車大好き今年50代の会社員です。 1970年代〜1990年代くらいまでの 旧車に関連した記事を発信していきますので、 ご興味のある方は ご覧いただければ幸いです。

旧車 バブル時代 超!名車!!

バブル時代を代表する超名車

日本の自動車産業が一番輝いていたのは
1980年代中盤から1990年代前半に
かけてのバブル経済が華やかだったころ
だと思われます。

なにせ開発費がふんだんにあり、
様々なチェレンジが失敗しても
許された時代だったからです。

そんな1985年にあるプロジェクトが
立ち上がります。

日産7thスカイラインがデビューした
年に発足しました。

それはスカイラインでレースに勝てず
つらい思いをしていた日産の悲願でもありました。

1980年代初めにRD30がデビューするも
なかなかレースシーンでは海外他メーカーの
クルマには到底及ばず、負けが続いていた
そんななかバブル経済も手伝って、
開発費用をかけて一から作り上げたクルマ。

スカイラインGT-Rです。

開発コンセプトは究極のロードカーで
レースシーンでも圧倒的に勝てるクルマ
を目指して開発が始まりました。

7thスカイラインが出てまもなく
始めるなんて、よっぽど経営陣が熱を
入れていたことがうかがえます。

まず開発に際して指揮を執ることになった
のは旧プリンス自動車の開発エンジニア
です。

元々スカイラインスカイラインGT-R
プリンス自動車が開発したクルマです。
飛行機メーカーだった中島飛行機
からいくつかの自動車メーカーが
生まれた中の一つがプリンス自動車でした。

スカイラインプリンス自動車の開発
した車両でした。
当時もレースシーンで他メーカーに
どうしても勝ちたいとの思いから、

レース用に開発したプリンスR380から
エンジンを取り出し4気筒エンジンの
スカイラインに6気筒エンジンを無理
やり乗せたのが始まりのGT-Rでした。

ケンメリスカイラインから16年の
時を経て開発作業が復活したんです。

やはりスカイラインはプリンス開発陣
でないと本来の走りやエンジンを
開発できませんよね。。
プラットフォームも今までのものは
一度捨て、一から開発されることになりました。

なので、出来上がった全長はそれまでの
スカイラインより100mm以上
短いものとなり、ハコスカと同じくらいの
4500mm程度の縮小されました。

エンジンもRBエンジンですが、
これはこの車専用に開発されたもので、
他のRBエンジンとは全く互換性がないそうです。

開発を重ねていきますが、ドイツニュールンベルクの
サーキットで行われたテスト走行では
海外他メーカーのクルマはビュンビュン
走るにもかかわらず、
気合を入れて開発始めたGT-Rは1週も走れずに
オーバーヒートしてリタイヤ
だったそうです。

開発設計陣とテストドライバー陣が意見を
出し合って連携し一体となって、
新しいGT-Rを作り上げていったんです。

エンジンはRBエンジンですが、
アルミグロックを使うことで軽量化を
図り、
アてーサと言われるトラクションシステム
を採用しました。
これは後輪のトラクションが限界になると
前輪へとトラクションを分配する機能で
4WDの理想のトラクションを実現する装置
だったんです。

また、当時はまだ珍しい
スーパーハイキャスまで搭載していました。
4WSつまり後輪まで角度を変えることが
可能なシステムです。

16年ぶりの復活

このように8thGT-Rは強力なエンジンと
魔法のようなトラクションシステムを
手に入れ、自在に曲がる気のまで搭載
することにより、
基本コンセプトを忠実に守り、
レースシーンでも大活躍するクルマへと
変貌を遂げていきます。

開発から4年の1989年バブル絶頂期に
スカイラインGT-Rはデビューするのです。


当時はセンセーショナルな1台でした。

なにせ自主規制280psに加え
GT-Rの称号は16年ぶりとなる
もので、クルマのデザインも今までの
直線を基調にしたものとは
全く別の丸みを適度に帯びている

今までにはないスカイラインで、
GT-Rブリスターフェンダー
備えており、幅広いタイヤを装着しても
5ナンバー枠に収まるサイズとなって
いたのもすごいことだったんです。

そしてスカイラインのシンボル
4つのテールランプを全ラインナップ
に採用下したのもこの車種だけだった
んです。

マッチョなだけでなく少しコンパクト
になり、エンジンは直6ツインターボ280ps
のハイパワー、しかも本気でレース用に
チューンナップすれば600psまで
パワーアップするエンジン。
しかもそれが規定内で無理して壊れる
ということがない丈夫さも
圧巻でした。

究極のロードカーを開発する
まさにこのパワーでも街中を
走って走れるところに懐の広さを
感じますよね。

どれだけすごかったか

そして本気でレースに向かえば
当時敵なしの連勝続きで、
1989年にデビューして目標だった
グループAはレースがなくなる1993年まで
負けなしで連勝を続けたんです。

まさに平成の名車です。
そんな名車がアメリカの25年ルールが
適応できるころに日本からアメリカに
バンバン輸出されているのです。

日本の名車は日本に留めておいて
もらいたいものですが。。
欲しい海外の人がいるのもわかる気が
します。

値段的には海外製に比べ元々安価な
ため2015年当時はまだ100万円前後
で手に入れることができる車体が
結構ありましたね。。

そのころ買っておけばよかった。。
なんて思う人も結構多いことと
思います。
日産もレストア事業を展開し始め
外装パーツやハーネス系、マフラーなど、
手に入れることが難しかった
パーツも手に入れることが可能になりました。

約80種類に及ぶパーツがメーカー
から販売されるようになりました。
これは旧車好きには喜ばしいことです。

ともあれ、しばらくは部品で困ることは
なさそうですが、良い程度の車体が
国内から減って、さらに価格が上昇して
いくことが残念なのと同時に
海外に認められる日本車として、
少し誇りに思います。

でも、当時乗りたかった名車は
いつまでも名車で30年経っても
高嶺の花なのが残念です。

でも、本気でお考えの方はパーツの
出ている今手に入れて
本気のレストアを施し一生ものとして
長い付き合いをしていくのも
アリなんだと思います。

本日はバブルの超名車の
お話でした。
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!